江花道子 2000年11月、ローマ |
亡くなられた絵の先生、あれほど何かを伝えようとしていらした先生達、伝えるものさえ既にわからなかった父や母、あの人たちは今どこまで行ったのか、この星々の間に光さえとどかない天体の陰のいずこに天の国や永遠の住み家はあるのか、そのことを幾度もPalazzo Grassiで考えました。聖書の言葉、空の鳥を見よ 播かず刈らず それにても 天の父はこれを養いたもう 汝らは之よりも遥に優るる者にあらずや、それは幼いときから深く理解していることでありながらこれだけおびただしいCOSMOS(宇宙)展の中にいると、それ自体いまだ私たちの考えたこともないある空間から呼 びかけられた声ではないかと思われるのでした。 それは大聖年記念として開かれたCOSMOS展の会場でした。何度も行くうちに顔見知りになった女性館員は、「今まで展示の度に入場者をいかに制限するか、行列をどのように動かすかが問題であったのに、今回の催しはどうしたことか人は皆ローマへ巡礼に行ってしまったというが、それにしてもこの静けさは。明日は会議を開き、早めに展覧会を終了することになるかもしれない」とのこと。老紳士がそこに現れ「一般に展覧会というものはあの絵が良かったとか、意外に良くなかったと云うことで終ってしまう、ところが今回のCOSMOS展では、私たちの魂・生命がどこから来てどこに行くかを考えさせる。主催者にとっては入場者が少ないという困難があるだろうが、何年か前に亡くなった娘のこと、我々の地上の生命の意味と距離を考えさせる企画などほとんどないのだから、そのことを誇りをもって会議で話して欲しい。私たちは何度も来ているのだから」。 次の部屋で我々だけになったとき、老夫人がヴェネツィア訛りで「あなたは毎朝、暗いうちに私たちの家の下にイーゼルを立てて陽が昇るのを待っている人でしょう。あそこは英国人やアメリカ人がよく来ては、何時間もかけてゴンドラや向こうの教会・島を描いている場所です。しかし、あなたは違う。毎朝あなたが描いているのはSPERANZA(希望)でしょう」。 私はその青い透通った目をまっすぐ見ました。その時からその絵は「希望」となりました。 |